はむすた氏の小説『逆さま世界の私達へ』感想のようなもの

はむすた氏は自分の作品を毎回「面白い」って言って出してくれる。これは本当にすごいことだと思う。ブログを見ていてもはむすた氏自身は謙虚にふるまっている印象なのだが、自分の作品を公開するときは自信たっぷりに「面白いものが出来た」と言ってくれるのだ。すごくない?自分から「ハードル上げて待ってて」なんて私だったら言えるだろうか。絶対言えない。

 

私はこんなはむすた氏のスタンスが大好きだ。なぜなら「実際にマジで面白いから」。はむすた氏の言う「面白い」は、決しておごりでもはったりでもなんでもなく、客観的な事実として述べているのだ。いくらこちらがハードルを上げまくっても、それを大幅に跳び越えてくるような作品を出してくるのである。だから、今回も「面白い」という言葉に期待してハードル爆上げで小説の公開を待った。

 

結果。

 

軽々と跳び越えられました。うん。流石としか言えないよね。

 

※ここからは小説の感想になりますが、当然ガッツリ小説本文のネタバレが含まれております。まずは小説を一通り読んでから以降の感想をお読みください!

https://www.pixiv.net/novel/series/1449123

(はむすた氏の小説本文)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作品ジャンル「たぶんロリホラー」

ツイッターでこれをはじめに聞いたとき、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。ロリホラーってなんだよ。ただ一つ分かったのは、ジャンルを定義するのが難しいタイプの作品なんだな、ということ。そしてそれが分かったとたん、私はワクワクが止まらなくなった。ざくアク設定資料集の長編小説を思い出したからだ。見てない方がいるかもしれないので詳細は省くが、様々なジャンルが同居しているようないろんな要素が詰まった内容で、読みごたえが半端ない作品だった。この味を覚えていた自分は、またいろんな要素が複合した素晴らしい小説が読めるぞ!という期待でいっぱいになったのである。

 

そして実際に読んでみた結果、期待通りだった。ホラー作品とも言えるし、百合ととらえることもできる。見方によっては勧善懲悪モノ(ちょっと違うかもしれないけどいい言い方が思いつかない)のような痛快さを持った作品にも見える。これだよ。このジャンルにとらわれない複雑な面白みこそがはむすた小説のキモだと思うのだ。

 

 

はむすた作品、やはり恐るべし

1ページ目を読んだ第一印象は、文字が生き生きしてる!という感覚。なんというか、文字がはねているというか、読んでいて軽快なんですよね。地の文は一人称視点多めで、その時その時の感情機微がストレートに伝わってくる感じ。作品全体の雰囲気は掴みきれないけど、その場のノリで読み進められる。と、思ったらいつの間にか作品世界にのめりこんでいる自分に気がつく。まただ。ざくアクでもらんダンでも東方SSでもそうだった。何度も味わっているはずなのに、またしてもやられた。軽快な調子でサクサク進んでいたらいつの間にか雰囲気に呑まれている。これが、はむすた作品の恐ろしさだ!

 

 

違和感

そして一度読んだ後もう一度初めから読んでみると、ハッとなる場面セリフがたくさんあった。

 

1ページのラスト。香水の匂いがするのは前からなのにヒールの音が背後から聞こえてきていることに気がついた。一度目は違和感を感じていたかもしれないが、まだ何もわからない状態なのでスルーしていた。二度目にあれ?これちょっとおかしくね?となる。はむすた氏のちょっとしたミスかな、とも思った。でも読み進めている途中であることに気がつく。そうだ。ヒールをはいてる描写がある登場キャラクターは、もう一人いたのだ。それは「本物の口裂け女」。背後、陽菜が坂を上っている背後(正確には脇)には、森。つまり1ページラストで背後から迫ってきているのは…。これに気づいたときは、思わず「すげえ!」と声が出た。

 

他にも「吾妻の生きがい(陽菜の頬を触りながら…)」とか、「円はカメラが苦手(カメラはよくお化けを映してしまう)」とか、「カイナデさんが旗を振る仕事をしてる(陽菜はジョークだと解釈したが…)」とか、見返してみると本当の意味が分かったり新たな発見がいろいろとある。まだ気づいてない要素も多分あるだろう。やっぱすごいよ。

 

 

子どもと大人、認識と無視

3ページで特に強く描写されているのが、子どもと大人、それぞれのコミュニティが持ち合わせている残虐性。それぞれの「最悪」がリアリティをもって描かれており、心が痛い場面だった。無視という、最悪の暴力。子ども、大人、それぞれの無視の仕方がとても印象に残る。子どもたちは怪異に怯え、大人たちはそれも面倒だというように無視を決め込む。

 

そんな子どもと大人の違いや、認識のズレ、そして無視するということ。それらは全て6ページのお化けたちの話に繋がる。これにめちゃくちゃ驚いた。子どもの頃は見えていて、大人になると見えなくなる。世界の姿に対する認識の変化。そうやって人間たちから無視されてきたお化けたち。前半でリアリティをもって描かれた数々の描写が、全て彼らの話にリンクする。凄すぎる。まじで話の組み立てかたが上手い。

 

 

リアルの恐怖、オカルトの恐怖

この作品におけるホラー、つまり恐怖の対象は2つのベクトルがあった。口裂け女という怪異のオカルト的な恐怖。誘拐殺人犯という人間のリアルな恐怖。一見すると全く別の方向性をもつ怖さのように思えるが、この作品においてはその境界線があいまいになっている。それが出ている場面の一つが吾妻が陽菜を閉じ込めて襲うシーン。そのシーンでは誘拐殺人犯のリアリティある恐怖が描かれているが、同時に吾妻が人ならざる化け物のように感じるような恐怖描写がなされているのだ。これはリアルの恐怖か。それともオカルトの恐怖か。

 

思い返してみれば、子どもの頃は妖怪も殺人犯も、同じカテゴリとして恐怖を感じていたかもしれない。「近所に不審者が出た」というお知らせを聞いたときに感じた恐怖心は、怖い話を聞いたときと同じような、なんとなく現実感のない、ふわふわした恐怖心だったかもしれない。いや、今でもそうなのかも。ただ、大人になったら「怖い話」の方は全く怖くなくなってしまった。「そんなことありえないだろ」と。だから、リアルの恐怖とオカルトの恐怖はいつしか別物だと思うようになっていった。

 

しかしこの作品は、そんな2つの恐怖の境界線をあいまいに描いている。そして実際にそれを読んで恐怖を感じた。子どもの頃に感じていた恐怖と同じように。

 

実は私がこの作品で最も恐怖を感じたのは、円が吾妻に世界の認識について話すシーン。その内容に言いようのない恐怖を覚えた。いや、今も恐怖している。そこで語られた内容の一つ一つが圧倒的な説得力をもって、圧倒的な現実感をもって吾妻に、ひいては読者に襲い掛かってくる。決してただのオカルト話では終わらせない、という強い意志を感じた。目の仕組みの話、脳の処理の話、カメラの話、そしてそれらを聞いて「納得してしまった」読者。もしかしたら小説を読むことでこの話を聞いた自分にも「見える」ようになってしまったのではないか。どんな怖い話を聞いても味わったことの無かった、いや、子どもの頃に怖い話を聞いて感じたことのある、もしかしたら自分も、という恐怖。まさかそんな恐怖心を大人になって味わうことができるとは思わなかった。この作品は、子どもの頃のあいまいな恐怖心を思い出させるというとんでもないことをやってのけたのである。凄すぎるとしか言いようがない。

 

 

視点の切り替え

※ここからはむすた氏制作ゲーム、「ざくざくアクターズ」本編ラストの重大なネタバレがあります!ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品、面白いのが6ページ目で視点が切り替わるというところ。今まで陽菜視点で描かれてきたのに、ここで急に吾妻視点に切り替わる。吾妻の心の内が描写されるようになり、読者は吾妻と同じ目線に立たされる。そして円は圧倒的な恐怖の対象である「魔女」として描かれる。その魔女は吾妻だけでなく、同じ目線に立たされている読者にも恐怖を与える。

 

この構図、私は似たような構図を見たことがある。「ざくざくアクターズ」のラストバトルだ。今まで脅威だったものが視点が切り替わることで読者の視点と合わせられ、今まで味方だったものが圧倒的な敵として、「ラスボス」として立ちふさがるという演出。もちろんあのラストバトルとは全く別物ではあるのだが、演出の仕方にどことなく重なる部分があると思った。視点の切り替えによる演出がつくづく上手いな、とうならされた。最後に本物の口裂け女が出てくる流れも完璧すぎて、恐怖を感じながらも思わず拍手しそうだった。

 

 

※ここからざくざくアクターズのファンコンテンツ、「ざくアク夏休み絵日記」のネタバレが含まれます!ご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品で一番好きな場面はどれか、と聞かれたら4ページ目と答えると思う。脳が色を見ている、という陽菜の感情を表す描写がひたすら美しかった。よどんでいた心が晴れて、世界が色を取り戻す、なんて美しすぎる(しかも「脳の認識」という話なのでやはり例の話にも関わってくるという隙の無さである)。円のもつ純粋な心の美しさ。それを目の当たりにした陽菜が気持ちを伝えるシーンはほんとにあたたかくてまぶしいくらいで、泣くしかなかった。最高の場面だと思う。

 

そしてそのあと、円が陽菜に虹を見せるシーン。ああ、ズルい。世界に色が戻って、からのこれ。七色のカラフルで綺麗な虹。完璧すぎる。虹も子どもと大人で認識が違うものだ。光の屈折によるものであり、近づくと消えてしまう、実在するといえるかどうかはっきりしないもの。そんなあいまいな存在。ここで虹を出してきたのも、やっぱり後の話との関係性を考えざるを得ない。

 

このシーンで自分は、ざくアク夏休み絵日記の8月21日を思い出してしまった。夢にまどろんでいったデーリッチとローズマリーが、我々の住む現実世界のような場所に来てしまう。無機質な世界の中、虹を見つけ、そこに向かってゆく。その途中で「彼」と出会い、水たまりに写った虹の中に飛び込み、目が覚める。その圧倒的に美しい描写の数々が印象的で、絵日記の中でも特に大好きな話の一つだ。

 

その話において虹は現実と創作の世界を繋ぐ架け橋として描写されていた。現実と非現実があいまいに繋がる世界。それを表現するための、虹。そのあいまいな美しさが今回の小説においても存在感を放っていた。絵日記を見た後、虹が大好きになっていたのだが、今回でより一層好きになってしまった。

 

 

最高でした

最後の方は飛躍しまくった訳の分からないことも書いてしまった気がするが、とにかく最高の小説だった、ということです。なんかまだまだ考察できそうな箇所とかありそうな気がするので、また何回も読み返すことになりそう。光の屈折云々とか、カメラの仕組みとか、ストラットンの逆さ眼鏡とか、いろいろ勉強したくもなった。そう思わせるくらいの作品って改めて本当にすごい。期待のハードルを大幅に上回る、最高の作品でした!こんな素晴らしいものをありがとうございます!はむすたさんにはぜひお体に気をつけていただきたいというのが最優先ではありますが、ざくアクの追加コンテンツも楽しみにしています。

 

 

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殺意、足りていますか?